土で魅せる表現者【石川発×女性の活躍】陶芸家 高森 絢子さん(たかもり あやこ)さん特集

世界に羽ばたく「彩黑器」創作家

 エスダムスメディアJAPANでは、「ベンチャー・女性の活躍・地方活性化」をキーワードとした特集記事を配信しています。今回のテーマは「地方活性化×女性の活躍」です。
 石川県白山市在住の女性が、2022年第9回日展(※)にて特選を受賞しました。陶芸家 高森 絢子さんです。筆者は30年程前から彼女のお母様とゆかりがあり、栄誉ある賞を受けられお忙しいところ、無理を言ってお話を聞かせていただけることになりました。

  • ※公益社団法人 日展 https://nitten.or.jp/ (外部リンク)

    【公式サイト 絢工房】http://ayakoubou.net (外部リンク)

    【絢工房 代表・陶芸家 】高森 絢子さん

    1975 石川県白山市生まれ
    1993 石川県立工業高等学校工芸科 窯業コース卒業
    1995 金沢市工芸大賞コンペティション入選
    2000   金沢市工芸展受賞        (延4回)
        陶芸教室 絢工房開設 
        石川県現代美術展初入選     (以降連続)
        日本新工芸展初入選       (以降連続)
    2002 日展  初入選            (延13回)
    2003 日本新工芸展    受賞          (延4回)
    2009 日本新工芸展審査員就任              (’12、’14、’16、’18、’20) 
         石川県現代美術展  受賞      (延9回)
    2016 ワークショップ 韓国陶芸高等学校
    2017 アジアの未来現代陶磁展 招待作家(韓国利川市)
    2018 個展 「彩黑という名のやきものたち」
    2019 個展 「彩黑花」
    2021 第43回日本新工芸展 会員佳作賞 受賞
        個展 「高森絢子と彩黑」
    2022 石川県現代美術展 次賞 受賞
        第9回日展 特選 受賞

    現在  アジア、県内外の展覧会や個展で活動。
    独自の手法「彩黑器」を展開している。

    個展・出展   横浜高島屋・神戸大丸・アベノハルカス
                                  めいてつエムザ・ギャラリーNoa
                                  ギャラリーHidden SPACE(韓国ソウル市)
                                  ギャラリーDO(韓国利川市)など

    日展会友 
    日本新工芸家連盟審議員 
    石川県陶芸協会理事
    石川県美術文化協会会員
    白山市美術作家協会理事

    絢子さんの代名詞ともなっている「彩黑器」。筆者が取材に訪れた際、ハンドドリップでコーヒーを淹れて出してくださったのも「彩黑器」のコーヒーカップでした。陶器独特のゴツゴツした表面には絢子さんが大好きだという幾何学模様が描かれており、その線と線が交わる四角形の一つ一つには、それぞれ黄色・紫・紺色の釉薬がかけられ、まるでステンドグラスのような趣を感じさせるカップにうっとりし、手への収まり具合とぽってりとした感触にも感激し、口につけるのをしばし忘れてしまうくらいでした。私が初めて自分の手の中で感じた「彩黑器」は、千利休が楽茶碗に初めて出会った時の感覚に似ていたのでは無いかと想像しました。そんな「彩黑器」について、伺ってみました。

    絢子さん)
     「彩黑器」とは、文字の通り、彩りの黒い器という意味です。こだわって生み出した黒い素地に地元九谷の色鮮やかな上絵を施してあります。私の「黒」はパッキリしていなくて、ほっこり温かみがあります。そんな土味のある黒に、あえて旧漢字の「黑」を使っているのもちょっと気に入っています。
     上絵の模様は、大好きな日本画のモチーフだったり、柔らかくてしなやかな線を描く平仮名をモチーフにしたりしています。女性ならではの感性を大切に、そして繊細で優美で丁寧な日本古来の職人技が作り出してきた日本人ならではの美意識を大切にしたいと思っています。

    独学で試行錯誤し生み出したこの色は、工程を普通のものよりも何倍も重ねなくてはならず手間と時間がかかり、さらに強度を出すことも難しかったため、最初は小物しか作れなかったそうです。何度も失敗と挑戦を繰り返し、やっと大きな作品を作れるようになり、展覧会へも出品できるようになったそうです。2022年に受けた賞は、これまでいろんな困難に立ち向かって、前向きに苦労と努力を積み重ねてきた、そのご褒美だったのかな、と話されていました。

    絢子さんが陶芸に初めて出会ったのは高校1年生の時。工芸科のある県立高校に進学されるまでの絢子さんは・・・?

    絢子さん)
     私は3月生まれで体も小さく、周りに比べスポーツもお勉強もおしゃべりも苦手な方で、黙々と絵を描いたり手をかけて何かを作ったりするのが好きな子どもでした。タイル業を営む父はまさに昭和の職人気質で、私が描いたり作ったものに対して褒め言葉をくれた記憶がなく、いつも「上には上がいるものだ。」と鼓舞させられていました。小学4年生の時、母が担任の先生と懇談した際に「絢子さんはとても手先が器用だから、デザイナーとか、手しごとが向いているのでは?」と勧めてもらえたことを帰宅した母から聞いた時には、本当に嬉しかったです。そして、それまであまり褒められたことが無く、自分に全く自信が持てずにいましたが、自分にも得意なものがあるんだと勇気づけられ、人生のターニングポイントにもなった出来事でした。高校は、石川県立工業高等学校工芸科に進学しました。1年時に選択する工芸科目(陶芸・染色・漆)を体験するのですが、一番最初に体験したのが陶芸で、土の感触と立体を作る面白さにすっかり魅了され、自分には陶芸しかないと感じ、3年時には「私は陶芸家になる!」と宣言していました。これが、私の陶芸家としてのキャリアの始まりになります。

    高校を卒業してからどのような活動を始めましたか?

    絢子さん)
     大手の陶芸教室を運営する会社に就職し、3年間指導に携わりました。その後独立し、窯と轆轤(ろくろ)だけを買い、車庫を借りてそこで制作を始めました。当時は弟子入りできる師匠が石川県にいらっしゃらなかったので、全て独学で試行錯誤の日々でしたが、その代わり何のしがらみに囚われることも無くに自由に作陶できました。陶芸にかかる経費を捻出するためにはアルバイトをしなくてはならず、作陶よりもアルバイトをしている時間の方が圧倒的に多い毎日を送っていましたが、その時間の逆転をしたいと考え、24才の時に出張の陶芸教室を始めることにしました。1年後に地区の陶芸教室も始め、2001年に現在の陶芸教室「絢工房」を開設しました。

    「絢工房」についてお聞かせください

    絢子さん)
     「絢工房」には、地区の陶芸教室時代からずっと通ってくださっている、自分の親と同世代で陶芸愛がとても強い生徒さんが何人もいらっしゃって、教えるというよりもこちらが育ててもらってきたような気がします。生徒さん達は私が展覧会で受賞する度に、誰よりも早くそして誰よりも喜んでくれます。そんな生徒さん達のおかげで、励まされ、刺激を受け、新作への強い意欲を沸き起こさせてもらっています。一度に複数人の作品を焼くことで経費の削減ができると考え、窯の回転率を上げることを目的とした「絢工房」の開設でしたが、今では、人に喜んでもらったり良い影響を与え合うためにやっているのかもと思うようになりました。この工房がなければ、自分はここまで突き進んでこれなかったかもしれません。

    これまでで一番嬉しかったことはなんですか?

    絢子さん)
     嬉しかったこととは違う話になるかもしれませんが、自分がどうしても乗り越えられそうにない困難にぶつかってしまい、もう作陶をやめてしまおうと思った時、息子から「お母さん、『陶芸家』じゃなくなるの?」と言われたことです。誰よりも自分に一番近い存在である子どもが自分を「陶芸家」と認めてくれていたこと、誇りに思っていてくれたことを知り、自分はここで陶芸の道を諦めてしまってはいけないと思った瞬間でした。その時、家族がずっと自分を支えてくれていたんだと実感しました。

    お父様に認められたい気持ち、お母様の嬉しい顔を見たい気持ち。そして絢子さんの背中を見て育ったお子さん達が、「陶芸家」として認め誇りに思ってくれていること。絢子さんにとって一番身近な存在である家族が与えてくれるものが、彼女の原動力になっているのだと感じました。

    絢子さんとお父様の2ショット。貴重な一枚です。

    2021年10月14日に発行された図録「高森 絢子と彩黑」には数々の有志の方からのメッセージが載せられており、その一文一文から絢子さんがいかに大勢の人から慕われているかを感じることができます。女性として、伝統文化を重んじる工芸大国石川で活躍することの困難さは想像に難くありません。しかし、絢子さんはいつも自分を認めてくれる周りの人達に支えられ、困難を乗り越え、自身を信じ、表現することを諦めませんでした。彼女を知ることで勇気をもらえる人が、この世の中にきっとたくさんいるのではないかと思います。
    最後に、図録に載せられている一文を拝借させていただきたいと思います。

     半世紀近くの人生を送る中で、
     いくつもの経験を人は重ねていきます。
     特に女性は環境の変化が大きく、自分らしさを
     自問自答する時期も多くあると思います。

     彼女は10代の頃から、
     素直であり続けている。
     自分を信じ続けている。
     信念を持ち続けている。
     自分に負けず嫌いでいる。
     人を敬い、前向きに突き進んでいる。
     目標を達成した時は、ニヤけが止まらないでいる。(笑)

     彼女自身、あまり意識はしていないと思いますが、
     昔からずっと変わらず、自然体であり続けているところが
     彼女の強みであり、一番素晴らしいところだと思います。
     作品には、そんな粋で土くさい『絢子』が
     表現されており、いつも楽しませてくれます。

     (高校の先輩 三輪 利子さん)

    陶芸家 高森 絢子さん
    「絢工房 (陶芸教室・陶器受注・ギャラリー企画) 」
    住所:石川県白山市橋爪町708-42
    TEL:080-5858-3330
    MAIL:aya@ayakoubou.net
    HP:http://ayakoubou.net (外部リンク)

    ■編集後記
    「絢子讃」
    記事に載せられなかった貴重なお話がいっぱいあります。力不足で申し訳ありません。
    私の知っているかつての絢子さんは、元気いっぱい、そして未来を見据えて希望に満ち満ちたお嬢さんでした。時を経て、ゆっくりお話を伺った時目の前にいらっしゃったのは、素敵な魅力に深みが増し、そしてどこまでも真っ直ぐに努力を惜しまずこれまでもこの先も歩んで(突き進んで?)行かれる頼もしい女性でした。自分が見つけた「好き」をこれほど大切にし、どんな苦労も厭わずに邁進するその姿を見て、私の心の窯にも火入れをしてもらえたかのような思いです。
    絢子さんが作品名とお名前を書かれた時、いつも隣に押されている「落款印」は、実は私の母が篆刻したものです。母は体が強くないため活動を諦めてしまいましたが、絢子さんのおかげで一緒に日本中の美術館を巡回させてもらえているとわかり、胸が熱くなりました。
    絢子さんのますますのご活躍を切に願います。そして、絢子さんの大好きなご家族と生徒さん達が喜んでくれる出来事が、この先もずっと続きますように。

    ■ライタープロフィール
    Sachienne(金沢市在住)
    大切にしている事は、家族を大切にそして自分の人生を楽しむこと!
    コロナ禍を転機にすべく、楽しみながら仕事ができるエスダムスメディアJAPANへ飛び込み、自分の新たな可能性を見つけられたらと日夜励んでいます。

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    エスダムスメディアJAPAN株式会社

    代表者:山口 貴子

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    電話番号:050-3204-0372

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